起きて、とりあえず洗濯。干物してる間にちょっと目を離したら、とても悲しいことがあった。まあどうでもいいと言えばいいのだが。
あんまり悲しく(くどいようだが、この悲しさはたいしたことじゃない)なったので、ちょっと遠めの映画館にアレを観に。やっと自分内で消化できてきた。しかしその瞬間に身構える自分がいたりな。映画でここまで空襲が怖いのは初めてだ。弾が飛んでこない確証があるからそこにいられるが、恐怖感はしっかりとある。
人間、生きていると必ず日常から放り出される時がやってきて、それに対処しなければならないことになる。でも、これからも生きていくつもりなら、生き続ける努力をしなければならない。この十何年でそれは嫌というほど学んだが、それを改めて見せられると、こう腹の底に響くものがある。
たったあれだけの歳月で、それまであった暮らしが一変して、しかも破綻に向けて突き進んでいく。できるだけそういう事態は起きないようにみんな努力しているものの、現実には何が起きるかわからないわけで(例えば東日本大震災のような)、それが起きてしまったら、われわれはそれでも生きていかなければならない。生きていたいなら。その覚悟のほどを教えてくれる作品ではあった。
たとえこのまま日本が平和に時を重ねていくとしても、残念ながら人間は死ぬものなので、その時点でどんなに大切に守ってきた日常も破れを生じる。自分がそうなら、まあそこで終わりってだけの話なのでそのあとは心配する必要がないのだが、問題は周囲の人間に寿命が訪れたときのことで。
どんなに頑張っても破綻は来るのだ。ならば、破綻を乗り越えて生きていくしかない。人生ってそういうものの連続なんだろうと思う。
そして、いつか終わりが来るとしても、それまでの間この奇跡のような日常を愛でていきたいと思ったりするのだ。
ハレばかりに目を向けてきたが、ここへ来てまさかケに思いを馳せることになろうとは。
で、その中心にいるのがすずさんで、この人のキャラクターがこの物語の相当の部分を担っている。全部と言ってもいいが、他の人々も重要な役割を果たしているので。まさに世界があるからこそ、主人公が輝いていると。
個人的には、キャラってとっても大事なものだし、確かにこれなしでは物語は成立し得ないものだとも思っているけど、キャラ立てればなんでもありだ的な発想は好きじゃない。なんだろう。物語ってもっと全ての要素が絡み合って存在しているので、キャラが立って出来上がる物語は、そのキャラの向こうに隠れていた世界があぶり出されたものじゃないのかと思っている。だから、キャラ一本でできた物語はそこから現れた世界を軽く見てはいけないんじゃないかと。逆に世界がキャラを生むことだってあるんだし。
あーなんか何年ももやもやしてたものがすっきりした気がする。
戻っていろいろ。ナノの帰りを待ちながら三毛の世話とか。終わって寝る。ナノには申し訳ないが。カミさんは今日も遅く、結局ナノにはシャケのムニエルっぽいものとご飯、親は残った肉とか野菜で炒め物。スパイスぶっこんだのでうまかった。
で、眠くなって風呂に入らず寝たが、薬が効いてバッチリな感じ。かゆみで起きないのは素敵だ。まあ快適な寝覚めとは言えなかったが。鼻が。
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