8/26 餃子

 夕飯。思いついて。ていうかなんとなく皮買ってきちゃってて。ひき肉も残ってたし。でもって餃子だけじゃ寂しいんで、カミさんが昨日買ってあったチンゲンサイをネタにイカ買ってきて炒め物。うむ悪くない。
 晩酌はモスカート・ダスティ。甘い酒が、今夜はしょっぱかった。

 あ、ここから長いんで。

 2004年に、いろんな心の区切りのために(うそつけ、行きたかっただけだろ)イタリアを1ヶ月さまよってきて以来、毎回訪れてきた店があった。正確に言えば、その時は予約する頭がなくて、アパートの一室にあるそのお店に入れず、その年の冬にようやく訪れることができたのだったが。
 意を決して予約の電話を入れた時のことは、まだ鮮明に覚えている。あれはなかなか来ない電車を、ボルツァーノ駅のホームで待ってた時だった。海外での連絡用に契約した(GSMなので国内で使えない!)携帯で、顔も見えないのにイタリア語しか使えない相手に内心震えながら電話したのだっけ。
 出たのはお歳を召した(と思われる)女性の声だった。
 現在もたいがいだが、当時は本当に数字以外聞き取りもできなくて、定型句でなんとかなるレストランの予約でさえ必死というありさま。それでも、そのご婦人はていねいにこちらの言うことを聞いてくれて、話が通じたという感触があったことを思い出す。
 結局、そこから目的のアスティにたどりつくのに6、7時間かかったのだったか。なんせ直通の路線もなければ接続も悪かったし、しかもスト実施中だったという。よくその日のうちにたどり着けたもんだ。
 で、駅前のホテルに飛び込みで泊めてもらい(前のホテルの方が好きだったんだけど、遠かったのだ……いまになってみればどうってことないのだが)、そのまま場所は知っていたレストランへ向かった。
 さて入り口に立ったものの、ここからどうすればいいのかわからない。なにしろ入り口はアパートのドアで、鍵がかかってる。つまり呼鈴鳴らさないと入れないってわけだ。外は当然のように真っ暗で、人通りも少ない。
 小さなことばかりではあるけれど、イタリアへの旅で、覚悟を決めるってことがなんと多かっただろうか。このおかげで、なんとかぎりぎりのところで決断だけはできるようになったと思っている。ああ、話がそれた。
 というわけで呼鈴を押し、待っているとドアがかちゃりと開く。電動で中から開くようになってたんだね。で、もういっこドアがあって(アパートだからね)、そこを開いて入ると、電話に出たご夫人がいらした。60代くらいだろうか、ちょっと顎の張った笑顔の素敵な女性で、奥の席へ案内してくれた。他にお客さんはいたのだが、異国の人間で、しかもイタリア語が不自由だということに配慮してくれたのだろうか。差別的な意味合いもあったのかもしれないが、それは被害妄想にすぎると思うし、気にしなければそんなことがあったかどうかも問題にならないので気にしないことにする。
 献立は表に古い印刷(いや手書きか?)したのがあったのだが、そんなの関係なしにその奥さん(後に知ったのだが、シェフのアルド氏の奥さんが表をやっていた)がおすすめというか今日出来るものを喋ってくる。一応聞いたことのある料理ばかりだったので、一通り頼んでみる。いまとなっては完全には思い出せないが、前菜はサルーミの盛り合わせとロシア風サラダ(ポテトサラダ。それも喫茶店で出てきそうなグリンピース入ってるヤツ。でもうまいよ)、それにパプリカのバーニャカウダだったかな。この辺がド定番だった。ああ、カルネクルーダもあった。あと、サルーミに生サルシッチャもあった。この生サルシッチャが強烈で。たぶん子牛の肉だと思うのだけど、当時はわからなくて豚肉だと思い込んでいたっけ。拒否感はなかった。というか、日本では食べられないものだし、実際猛烈にうまかったからもうなんでもいいやと。その辺の食品衛生に煩い方々にすれば、なんて破滅的な! この刹那主義者めと罵られそうだが。いやまあもう食べる機会もなさそうだし、10年ほど経っているので許してたも(その後も何度か行ったけどさ)。
 ほぼ前菜で撃沈モノなのだが、それでもプリモもいただいたっつーかセコンド、ドルチェまで行ったんだけど。
 プリモはアニョロッティだったように思う。スーゴ・ダロッスト(たぶんオーブン焼きで出る焼き汁をソースにしたもの)っていう、薄いオレンジ色のソースに絡めたピエモンテ地方のラビオリ。自分のそれほど多くない現地の料理を食べた経験から言えば、これ以上のものを食べた記憶がないほど。アニョロッティってもっと重いものだと思っていたのだけど(近所の『古い四輪馬車』のは全開で重かった。歯ごたえがもう。いや、あっちのが普通だと思うの)、品があるというか、ふわりとしているというか、そんな感じ。
 そんなこんなですっかり惚れ込んで、その旅の最終日に、わざわざ泊まってるトリノから移動して(その直前までアオスタにいた)夕飯食べに行ったというですね。なんのためにトリノにいたのかと。空港へのアクセスがよかったからなんだけども。
 というわけで、どんなに南から出発しても、最後にはアスティを通過するという旅を続けてまいりました。コモが加わったりもしたけれど、やはりメインはアスティ。トリュフ好きなのでアルバに寄ったりもするけれど、アスティのそこに行かなければなにも始まらなかった。一度寄らないスケジュールを組んだこともあるけれども、結局いろんな流れで寄ることになったり。
 なんだか途中からは、あそこに寄ることがイタリアへ行く目的の半分くらいを占めるようになっていたような気がする。当然、いろんな思い出もぜんぶあそこと関連付けられていて(そもそも観光施設をガン無視していたので、イベント的なものが食い物屋とかベネチアみたいな土地自体がテーマパーク的な場所とかしかなかったのだ。まあ、普通のところでも街並み自体、テーマパークみたいなもんだけど)、ほとんどの記憶の中心があそこにある。なんてことだ。
 もちろん、2007年に行ったオヴァーダのヴォルピーナも再訪したいお店のひとつだし、イゾラ・ディ・ドヴァレーゼのカフェ・ラ・クレーパもまた行きたい。それでも思い出の中心はあの店だけだったように思う。あの店と、あの店に入るために過ごしたアスティの日々。まあ偏った思い出ではある。
 しかしよく考えてみれば不思議だ。店内は古い建物を利用していたようで、ものすごく趣があったし、悪くはなかったと思うが、じゃあ他にそういう店がなかったというとそんなことはなく、料理だってこの世で一番ってほどではなかった。それでも、自分の中でこの店以上の店は考えられない。
 結局のところ、奥さんの接客とあの空間、そしてあの料理がすべて合わさって、自分にとって特別な場所になっていたのだろう。
 まあだから、他の人を無理に連れていっても、自分ほどうれしくはないと思うし、実際そうだった(2011年家族連れてったから)。
 カミさんあたりからすれば、どうしてここがってところがあったんではないだろうか。頭ではわかっていたんだけども。
 それが最後だったってのが本当に心残り。奥さんは、「また来た時にね」と言ってくれたのだが。

 3年ほど行けなかったので、消息が気になってAldo di Castiglineの記事をネットで探すのが習い性になっていた。とはいっても特別な名店というわけではなし、なにかあったところで、せいぜいトリップアドバイザーの感想とかがあるかどうか程度のことしかわからなかったのだが、グーグルでちょっと下の方に出てきた記事が気になって開いてみた。
 アスティの地元紙だろうか。そのページに、Aldo di Castiglioneと、シェフのフルネームらしいAldo Cavagneroの名前があって、蝋燭の写真が載っていた。イタリア語なので細かいことはまったくわからないが、あまりいい記事ではないことが直感的にわかった。というか、その瞬間、来たるべきショックに備えて心が凍ったのだと思う。
 機械翻訳でもはっきりとわかった。
 4月10日、Aldo氏が亡くなった。そういうことらしい。
 悲しみはなかった。にわかには信じられなかったのがひとつ。でも、不思議に事実は受け入れていた。これは動かないことなのだと。もう、アスティのあの通りに行っても、あの店はないのだと。奥さんの笑顔も、ちょっと強引なメニューの説明も、特別じゃないのにとても美味しいワインも、テーブルに置かれたちょっと湿気ったグリッシーニも、そしてあのシェフの料理も、二度ともどらないのだということを、不思議に冷静に受け入れていた。
 いつかこの日が来るとはわかっていたけれど、せめて、身体がきつくなってお店を辞められる程度のものだろうと思っていた。お二人の外見から考えても、あと10年は無理だろうと。いや案外80過ぎまでできちゃうかな、とか。
 だから閉店してからでも挨拶にでもあの町まで行って、さよならできたらと思っていた。

 正直、いまでも悲しみはやってきていない。この文章を書いていても、ひどく醒めた自分がいる。本当は、あの店をそんなに好きではなかったんじゃないかと思うが、それならこの腹の底に感じる重いものはなんだろう。
 いや、本当に他の人にとってはどうでもいいことで(そう、たぶん家族にすら)、そして当のAldo氏のご家族にとっても、ご主人を失った悲しみから比べれば、こんな1万キロも離れた東の果ての島の人間がどう思い、どう感じようと知ったことじゃないと思うのだ。
 それでも、せめてもう一度、イタリアに、正確にはアスティに行きたいと思っている。その前にまずそれが実行できるようにしなければならないのだが。無理をして行ったところでなにもないだろうし。
 なすべきことは山のようにあると思う。まだ先も見えない。それでも、なんとかしようとする気持ちをかきたてて進んでいかなければ、結局この先、自分自身にもなにも残らないように感じている。

 夕飯のお酒はカミさんが気を利かせてかってきてくれたものだったのだった。

 もちろんオチはない。おさまり悪いなー。
 あ、昼飯はファミレスのランチでしたよ。

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