そこは定宿のある駅のすぐそばだった。駅挟んで反対側だけど。
いままでは宿のあたりと駅しか知らなかったので、周りを歩き回れたのは新鮮だった。
朝になり、そこそこ寝られたのでしっかり起きた。寝ずの番は! まあお線香とか最近超長時間持つのがありましてな。蝋燭なんかも。
さっそく段取りの打ち合わせ。なかなかやることが多い。自分の経験ではあまり記憶にないことがたくさんあったのだが、実際見たこともないようなことをたくさんやっていた。とても丁寧。そういうのの進め方そのものに、当事者への敬意が感じられたというか。
もちろん、善意だけで物事が動いてるわけないのだけれども。それでも自分の親の時のことを思い出すとなあ。あんなちゃんとやってくれなかったなあって。
それが悪いまでとは言わない。こういったことに対するスタンスが、そもそも違う風土だし。たとえば墓地の扱いひとつとってもかなり違うので。
朝昼兼用のコンビニ弁当を食べている間にナノと義姉ご夫妻などが来る。全員揃っていろいろ開始。
最初はお化粧とか衣装を整えるとかだったが、だんだん大事になってくる。時間もたっぷりかかって、気がつくと夕方近かった。最初聞いた時はもっと間が空くと思ってたんだけども、現場を離れている余裕はほぼなかった。
だから大変だったとかそういうのではなく、結構大変なことやってるのに環境が快適なので普通に1日過ごせた感じ。結局こっちもケアされる側なのだよな。
自分の父親の時、まだ20代だったのだけど、どうしていいか分からずおろおろしていたら「当事者はその場にいればいい。やることは周囲がやるから」と言われたのを思い出す。それは関わった人たちの善意に支えられるものなのだが、彼の地ではそれがシステム化されている——って書くと語弊があるか。
システム化されているというのは、善意を商売にしているというのとは違う。根底にあるのは善意なんだと思う。そこに契約が介在しているだけで。善意に対して謝礼は支払うし、それが大前提ではあるが、善意を買っているのとは違うというか。
とりあえず、全部終わって夕方からの最初の法要に備えて今夜泊まる宿に向かう。いつものところ。
荷物を置いたりして、準備を整えてそそくさと出る。かなり忙しい。
でもって最初のところに戻って準備。初日に泊まった部屋から移動して、大きめの祭壇のあるフロアに。
ちょっと間を置いて最初の法要。
簡素だが、家族の想いのこもったものになった。芯の部分はごく単純。去る人への愛惜と哀惜、そして前向きな諦念。
今日はそれで終わりで、定宿に引き上げることになった。ちょっと手間取り、宿の食堂には間に合わなくなってしまう。奥の商業ビルの食堂街に行くが、結局ナノの希望でこっちにもあるチェーンの定食屋になった。せめて酒でもと思ったが、ビールしかないのでなんかこうそのまんま飯食って終わった。
返って宿で半量瓶の赤葡萄酒を飲んだ。カミさんと。
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