ほら映画の日だし。
1100円で観られるならと思ってネット予約を見たら◎だし、そりゃあ行かなきゃって思うよ。
実際はスクリーン前の3列を除けばほぼ満員だったわけだが。いくら映画の日とはいえ、平日昼間でこれはすごいな。
もともと、片渕監督はその作品のファンに強い愛着を感じさせるフィルムを作る人なので、今作は桁違いの規模で長年観続けられる作品になると思われる。普通、オトナが勧めてくるモノなんて、若い人間にはケッってなものなのだが(いや、これですら、20代とか10代にはピンとこない人が多い雰囲気ではある)、これはそうではないんで、支持する人間が確実に増えるはず。
例えばテアトル新宿が連日満員なのは、リピーターだけのことはないはずで。
『君の名は。』のヒットにしても、あれは日頃映画に関心を持たない若い層を一気に引き付けたのが大きな要因で、その何パーセントかだけでも動員できれば、通常のヒットには十分な数になるはず。いま、それが起きているのを感じる。
まあなにが言いたいのかといえば、無理に応援する時期は過ぎたねってことね。前作は好きだったけど、その空気で引いておりました。オレは好き、で十分ではないかと。広まらなかったのは、その作品が(商業的には)そこまでのものだったということなんだ。もちろん、そのことがその作品の価値を毀損するものではないし、実際前作なくして今作はないので、存在が無意味だったなんて言う気は欠片もないことは付け加えておくけれども。
いや、これは自分の作品にも言えることだし、結果は従容として受け入れる覚悟は常にある。言い訳ではなく、やることをやってなお結果がついてこないなんていくらでもあることだし、そこに拘泥しないで先を見るって意味で。
いや、最初、2回目までは完全に心が捕らわれていて、無理に言語化しようとは思わなかったけど、この作品の魅力はなんなのかをぐるぐる考えていた(つまるところ、絵、脚本(原作)、演出、音楽、そして効果音が全て高水準の上に綺麗に噛み合っているからなんだけど、それだけじゃあ本質を言い表せているとは言えないし)。3回目でヨーコがすずの右袖をずっと掴んでいるシーンで、ああ、これは家族への想い(自分が親に抱いていた感情と、親が自分を見ていた時の感情とを同時に感じられる立場にいるので)なんだなあとなんとなく気づいて、あと、自作のチェックやってるうちに、それを軸にすることでなんとかいつもの状態に復帰できたというですね。
だから今回は泣かずにすみました。強い情動を感じずに観られたと申しましょうか。それでも心揺さぶられる映画であることに変わりはないのだけど。
この感じ方は、もちろん自分だけのもので、たぶん他の人が見ているものは別なんじゃないかって思うんだけど、これは徹底して客観視線で物語が描かれているために、いろんな視点で物語を見られるからじゃないかと。作品自体は、観客の感情をどこかに誘導しようとはしてない。ただ、冷徹なまでに虚構のほんのちょっと混じった事実を描いているだけで。これはすごいことで、だからこそみんなこの映画から受ける感慨の正体に名前をつけられないでいるのではないか。
まあこれが全部ではないんでしょうが。
しかし、前作同様、いいものだからといってそれを押し付ける空気が生まれるのが恐いし勿体無い。間違いなくすごいものなんだから、そういう同調圧力なしで観られる空気を醸成していくことが真のフォロワーの務めではないか(その結果、つまらんの一言で済まされるのもやむなし)。シンゴジも、その一点ですごく後味悪かったし。
戻って、戸締まりを確かめて、ちょっと仕事に出て、カミさんが今日は珍しく早帰りなので、リクエストもらって夕飯の買い物に。カルパッチョとお吸い物と豚バラのしゃぶしゃぶ風とご飯。あとカヴァ買ったので、ついでにマッシュルームのカヴァ蒸し。
やるべきことは山積みだが、なんとなく深夜まで起きていてなにもできなかった。
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