いろいろ困ったことが。大半が解決しそうだが、一つだけ肝になるのが残っている。そして解決しそうにもない未来が見える(瞳を三つに増やしながら)。正直憂鬱だ。だが、ここでコペルニクス的転回を思いつく。憂鬱じゃないようにすればいいじゃん。なにがどうとは言えないが、まあそんな感じ。
オレの負担が激烈に増えそうな未来が見えてきたが(瞳が三つのままで)、まあ解決しない問題抱えて右往左往するよりはずっとマシなんじゃないかと考える。そう、ピンチはチャンスだ。
って2008年にも言ってたような気がするが、その後ちょっと良かったからよしとしようじゃないか。
昼はファミレスで。家に戻り、ナノのお迎えで出ようってタイミングでそういうことを。で、夕飯はもう楽なものでってことで、ナノ連れてそのままスーパーに向かい、シャケの刺身にアボカドマヨ醤油(ていうかアボカドのペーストにしか見えないものになってしまったが)、揚げのしらすピッツァもどき、そしてニンニク唐辛子スパゲッティにしてみた。全体に量が足りなくて失敗気味だが、デザート増量で踏ん張ってみた。そんなところ。
生きることを制限された人のツイートと日記を読む。もちろん、そんなのは明示されていないだけであってオレたちも同じことではあるが、それでも終わりをにおわされてなお生き続けなければならないという難題と直面して、それでも絶望せずに進んでいる人がいる事実に、なんでオレが凹んでいられるかよと思う。いやこれも身勝手な話で、当事者にしてみればそれどころじゃないだろうし、それを自分の立場と比べること自体が相手にしてみればはた迷惑な話(少なくとも逆の立場ならオレはそう思う)ではあるのだろうが、それでも死の瞬間まではそうやっていくしかないのだろうと思ったりするわけだ。
正直、その人にかける言葉をオレは持てない。なにやっても相手を傷つけてしまうか、自分がダメになる方向しか考えられないからだ。どのみち、自分に何かできるとか考えるのは傲慢で、相手が何か求めてきたらそれに答える程度のことしかできないわけだが。
こればっかりは答えは見えない。見えたら苦労はない。
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