百万回には遠く及ばないものの。
昨日の夜から、ほとんどリアクションしなくなりました。呼吸は浅めでちょっと早め。でもこれは危ないってほどでもない。
いや反応がない時点で残りの時間はそんなにないことはわかってるんだけれども。
カミさんは徹夜するつもりだったようだけれども、そりゃあ起きてられるはずもなく。宵っ張りの自分が、できるだけ起きてて何かあったらってのが既定路線だろうとおもってたので、そのようにしました。
まあそれでも、近くにはいないでモニター越しに。仕事したかったから。冷たいと思われるのは仕方ない。
途中何度か見に行って、呼吸しているのは確認したけれども、もういつもの顔はしていませんでした。呆けたような、呼吸をするだけで精一杯。すべての余力をはぎとられた顔。
何度か部屋に足を運び、朝になっていたのでそのままカミさんが起きるまでとおもってそばにいることに。
呼吸はだんだん浅くなっていくように見える。でもまあ、止まる雰囲気もないし。
腎臓が機能を失っていると診断されてほぼ6年半。毎日皮下点滴というのをやって、毎日機械を使って少量ずつ数時間ごとに給餌するやり方でずっと付き合ってきたのだけれど、この点滴と給餌のセットアップがすっかり夕方の日課になってて、それがずっと続くとおもっていて。本当に、もうずっと続くものだと思い込んでました。
だから、突然ご飯を食べなくなって、突然身体が動かなくなって、寝たきりになって、リアクションも乏しくなって、とうとう口の動きと尻尾だけで反応するようになってからは点滴もやめて。それでも水なしで寝たきりはつらいだろうから、少しずつ、ほんの数滴スプーンで口に垂らして、それで喉を動かして飲んでいるので安心したりしてきたこの3日間でした。
でもそれももうおしまい。
明るくなって、散歩する人たちが通りを歩いていくのが見える時間になり、強い風が庭の植木を揺さぶっているなか、突然の発作。
あんなに体が動かなかったのに、這ってでもトイレで用を足そうとしていたのに、最後は我慢していたものを全部吐き出すようにしていってしまいました。
カンが強くて、気に入らないと唸られました。クルマに乗せたら、それだけでもう死んじゃうんじゃないかって思わせるほど鳴きわめきました。黒いのがきたら、完全に敵認定でストレス溜まって大変でした。腹の毛が一時期なかったことがあるくらい。
それがみるみる痩せ始め、うずくまったまま動かなくなって、お医者さんに連れていったら腎臓が壊れたと宣告されました。まあありがちな病ではあるのですが。
お医者さんに、少しでも楽に生きさせたいなら皮下点滴しかないと言われ、その通りにしました。最初は大変でした。他人の体に針入れるんですよ? 抵抗ないって言ったらウソですよ。そして最後まで慣れることはありませんでした。
最後の方は皮膚に余裕がなくなって、引っ張って皮を張って打ち込んだつもりでも、実は張っているのは指の幅より狭いくらいのところで、そこからちょっとでもズレると刺さったように思えて刺さってないので、点滴流し始めたらドバーってなったり。
思えばそれが終わりの始まりだったのでしょう。
でも、本人はその間こっちが抱っこして注意をそらすためになでつづけるので、それが楽しみだったらしくて自分から点滴を受けに来ることもありました。もっとなでて欲しかったんだと思います。
黒いのと一緒にすると血を見る勢いだったということもあって、使ってない部屋ひとつに入れていて、外を見るのが大好きだから通りに面した窓でじっとしてたんですが、本当はきっとぼくらをひとりじめにしたかったんでしょう。ごめんね。ごめんなさい。
最後はカミさんも一緒でした。ともかく看取って、もう呼吸をしていないことを確かめて、しばらくぼんやりしてから寝て、昼に起きて、3時から火葬してもらえるという話がついていて。
最後の日々をすごした寝床がわりの越南の籠に、タオルにくるまって横たえられてる姿はまるでまだ生きているかのようでした。むしろ、無理をして息をし続ける必要がなくなったおかげで、顔からは緊張が消えて、半眼のままの目でじっと前を見ているようにしか思えませんでした。カミさんが買ってきてくれたお花が飾ってありました。お花は種類によってはよくないのだけれど、もう気を使う必要もないし。
黒いのと猫娘は、そういえば最後のときにとても興奮していたように思います。たぶんわかっていたんでしょう。彼らはそういうところがあるので。そして、いまも近寄ろうとしていませんでした。こわがっているというよりは、敬意を払っているという方が正しい気がします。
いつも通りやってからお昼ご飯にチャーハンを作り、3時に向けて準備をしました。といっても、臭いのこもった部屋の掃除とかカーテンの洗濯とか、全部カミさんとナノがやってくれたのですが。自分はただ飯を作って食べて、クルマを運転してみんなを運んだことくらい。
前に犬の葬儀もお願いしたところだったので、段取りもよく、きちんと火葬を済ませることができました。納骨は夕方にはできるとのことで、時間をおいてすぐに戻ってくることになりました。
そして、戻ってきたペット用の葬儀場の祭壇に置かれていた骨壷のなかには、真っ白で形の整った小さな骨が入っていました。とてもきれいに感じました。
それを共同のお墓におさめて、手を合わせて。
このこのために手に入れようと決意した家で、一緒に住み始めたあの日から20年がすぎていました。
いろんなことがありました。ここに書き切れないくらいたくさんのことが。もちろん彼女と自分は別の存在で、彼女はいなくなってしまったけど、自分の人生はもうちょっと続くので、これでおしまいってわけにはいかないのですが。
いかないのですけれども。なるほど、胸に穴が空いたというのはこういうことを言うのだなあ。
夕飯はお刺身丼でした。鶏の唐揚げの腹づもりはあったんだけど、眠くて、気力がなくて。火傷しちゃうかなあっておもって。
開け放たれた部屋の中にはもう誰もいなくて、別に彼女がいたとき特別にうるさかったわけじゃないのに、ひどく家の中が静かに感じます。黒いのたちは、またあの部屋を使ってくれるかなあ。
知ったようなことを言うつもりはないんですが、彼女の生には、少なくとも彼女自身が20年この世に存在して、自分を自覚して、感じて、苦しんで、少なかったかもしれないけど楽しんだっていう点できっと意味があったんだと思います。自分たちもそうであるように。
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