いやー、いろいろ時代を感じさせるセリフとか描写がてんこ盛りで大変大変。いや、描写に気を使うとかやり始めたらきりがないと思うんだけどね。表現そのものに悪意があるんならいざ知らず。見極め難しいけど。
というわけで、カムイ外伝の一挙放映を見てるんだけども。今年BD版再販されたのね。お値段はほどほどなので欲しいかなあ。でも他にも欲しい円盤はあって。余裕が欲しい。
いやもう、世間様から見ればオヤジ以外の何者でもないのだろうが、こう見えて中身は中学か高校からあんまり変わってないってよく物書きさんが言ってますよね。オレはちょっとだけ違って、あんまり年齢関係なく同じ自分がいるのな。まあ考え方が青かったり浅かったり、年齢によって変化はしてなくもないんだけど、単に考えに含める知識が増えたりしただけで、さほど変わりはないっていうか。
で、そういうガキなんだか親父なんだか(ガキオヤジっていまだとちょっとだけシンパシー感じる)わからない自分が『聲の形』に心を鷲掴みにされているわけですが、曲がりなりにも人の親(客観的に観測して)であるという自分と、同時にあの中の一人であるという自分とが両立してて、そこらへんが大きいのかも知れないといまさっき思い至った。
人は皆負い目というか、十字架とまで言ってしまってもいいのかも知れないが、何か自分を許せないもの、あるいは間違いだとわかっていてどうしようもない(短期的には。少なくとも)ものを背負って生きていると思うのですよ。程度の多寡はあれ。それから逃げることなく描いているという点で、すごい話だと思いました。もちろんエンタメだから、リアル一辺倒ではないし、甘い部分もあるだろうけど、本気で嫌な話だったら誰も読んでくれないし。
とにかく、人間は背負ったものからは逃げられないわけです。なにもかも捨てて隠者になったところで、自分はいなくならないので。自分が自分を責める声は絶対に消えない。それを消したければ、本当に自分がいなくなるしかないわけで、その選択すら真正面から扱って、もちろん逃げようがない負い目をどうするかってところに至っている。
あの通りの答えが出るとは限らないし、もっとひどいことになって、もっともっとひどい目に遭う可能性だってあるけれど、彼らが割と等身大でもがいて掴んだ結論は、苦しみしかない現世で生きていく上での道標にはなるんじゃないかって気がするのです。
いやとにかく逃げずに描き切った作者はすごい。
ああいうものを扱ったら、逃げるわけにはいかなかったってのもあるんだろうとは思うけど。
昼飯はマクド。昼じゃないな。おやつかな。おやつの量じゃないが。
夕飯はスパゲッティ。しらすと明太子。あと三つ葉をがっさり。案外外してなくてホッとしました。
カミさんから大根のスパゲッティのリクエストがあったので、今度やってみる。大根クレーマにしたいんだけど、どうすればいいかなーうーん。筋多いんだよね。カブだと簡単なんだけど。
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