日記帳2004 1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/過去の日記へ/トップへ
5/31 もはや流れに身を任せている 31
とにかく前進あるのみ。 ただ、問題なのは、他にもやらなきゃならないことがあるってことかな。特にヒストリカ。ぎりぎりまで引っ張ってるが、そろそろ限界のはずだ。というわけで、中断してもまあ許せるところまでがんばって進めておかねば。 今日は家から一歩も出ず、土曜日に残してあった食材で飯を作った。 昼は茄子が大量にあったので、茄子のパスタに残ってたトマト刻んで入れたもの。 夜はカミさんに頼んで鶏ももを買ってきてもらい、カッチャトゥーラ。ローマで食ったヤツ。もともとトマト煮はあんまり好きじゃないので、別パターン(あるいはこれが本物?)の作り方があるのを知った時は結構うれしかった。要は、ワイン煮詰めてソースを作り、それで焼き目をつけたもも肉を煮るだけなのだが、やってみたらローマの店の印象に近いものができた。ソースの煮詰めに30分かかるのでそれが面倒だけど、それ以外は本当に単純(ただフライパンで焼いて、いったん上げて、ソースで煮込んで終わりだから。味付けも最後に塩振って終わり)なので、来客の時は、今度はこれで行こうかと思っていたりする。手羽でもできそうだし。
5/30 やべえ日曜日 30
朝から仕事のチャンスはいっぱいあったのだが、なんとなくだらだらやって貴重な一日をしっかり潰してしまう。そのくせ、料理作るのは面倒で、時間を惜しがって外食になるし。 つっても、昼は駅前の『カフェぐるぐる』へ、夜は天元だったので、まあなんということもなかったわけだが。 感想は割愛。ぐるぐるは、何ヶ月かしたらまた行くかもね。そんなとこ。それより、その近所にあったラーメン屋の方が気になるなあ(≠ホロトン)。 で、野球中継流しながらほどほどに仕事して、野球終わったとたんに死ぬほど眠くなって寝た。 起きたら早朝だった。うぐ。
5/29 来客2件 29
親戚の子が、一次面接に通ったのでやってきた。昼飯をおごって別れたあと、夕方からカミさんの受講していたマーケッティングセミナー関係の知り合いが来る。このために前日からパスタ練ったりしてあったわけだが。 鶏笹身のローズマリーを使った前菜は、今回が一番うまくできた気がする。もしかしたら塩味が濃かったかも知れないが、あれは薄味では味が出ないので。もともと酒と一緒に食べるのが前提の感じ。 その他いくつか作ったのだが、羊はもうあと5分か10分くらいは焼いてもよかったかもね。 で、朝5時くらいから起きてたので、ラスト付近は酔いもあってグロッギー。
昨日の深夜からR.O.Dの一挙放映をやってるのだが、30分単位で1ファイルになるように設定してたら、CMをはさまずに放映されて、なんかすごく中途半端な位置で切れてる予感。
5/28 恐ろしいことだが 28
やっと加速がついてきた。つっても、まだまだ残ってるわけだが。でも、結末までお話が決まっているのは助かる。余計なことはむしろしない方がいいので、いかに忠実にお話を文章に起こすか、ってことなのだが。 昼過ぎちょっと出て、いろいろチェックしてから戻り、それからまた仕事で、なんとか一区切り。飯を作り、食って、風呂入って寝た。 仕事が混んでくるとこんな日記ばっかりになるはずなんだがね。
5/27 撮影の日。 27
昼過ぎまで仕事。午前中に洗濯なども同時に行い、干し物などもやって、それから寝る。まさかここまでは寝ないだろうと思ったが、8時に目覚ましかけて寝たら、しっかり目覚ましに起こされた。うう。 勝ってる試合に気を良くしながら味三昧へ。撮影して、飯、でもって帰り、あまりに眠さに、開き直って寝る。だらだら起きてるくらいなら寝るべきという。 カミさん遅かったので、気づかず、朝まで寝ていた。まあ朝といっても5時過ぎくらいだが。
5/26 寝たり、寝られなかったり。 26
どうもピンチモード突入のため、睡眠が浅くなっている。したがって、寝覚めが猛烈に悪い。もうちょっと寝たいと思うのだが、眠りが浅いのできちんと眠れないのだ。 あんまりいい傾向ではないので、なんとかせねば。まあ、仕事が終われば全部解決なのだが。 煮詰まってくると、いよいよネットへの依存度が高まってくる。意味もなくウェブを見たり、メールチェックしてみたり。最近は、スパムフィルタとして導入したSpamshieveが大変優秀で、日本語のスパムも教えれば弾いてくれるので、日本語スパムが来ないかわくわくして待ってるところ。普通のメールが来るとかえって残念がったりして。 ただ、いままで使ってたSpambayesと違って、メーラーを選ぶので(GyazmailとかApple emailerとか、海外産の有名なメーラーとか)、その辺が難しいところ。誰にでも勧められないんだよね。
夕飯は残り物で炒飯。いや、焦げたご飯で作ったのだが、かなりうまくいった。
5/25 いろんなピンチ。 25
日記のログを担当してもらってるDTIからメール。なんと、日記用CGIが廃止されるという。この機会にブログでも導入しようかと思ったが、やはりあれは機能過多な感じで、入れてもほとんど使わないものばかりなので(なにしろはてなの日記ですらいまいちに感じているのに)、どうもいかん。 そんなわけで、手書きで行くかと考え中。よく考えれば、このFreewayで生成しちゃった方が楽って言えばそうなんだよね。DTIを使い続けるかどうかは不明。pos.toネットも増量したしなあ。 でもって、仕事は相変わらずピンチ中。<わかったからやれ
5/24 夕方まで起きられなかった。 24
すげえヤバイ<仕事 そんなわけで、夕飯の支度をしようとしてたら、雨が降ってきていて、カミさん傘を忘れたので、買い物ついでに迎えに行く。 なんだかんだあって、宅配便を出しに行くことになり、面倒になったので西荻のシュエダゴンに向かったが、これが休み。で、帰り道だったので家楽亭に寄って帰った。 なんか緑色、放置しておくと電源入らなくなる。なぜ? リセットするともとに戻るわけだが。
5/23 カレーに終わる 23
早めに寝たおかげで、なんか早朝に目が覚めた。目がテンをみて、デカレンジャーみて、8時になったので着替えてスタンバイ。で、朝ご飯をいただいてから、ちょっと待って法事。 で、お昼をいただいてから帰りの準備。気がつくとなんにも手伝いをしていないことに気づく。これでいいのか?>自分 なさけなや。 帰りはお義兄さんに中百舌鳥まで送ってもらって(わんだーらんどで平積みしてもらえてたよ。いぇっふー。でも、最後の挨拶忘れたよ。ううう)、そこから梅田へ。梅田でインデアンカレーをいただく。大阪に来ると、ここでご飯いただいてから帰るのが習慣になっているのだ。 梅田のインデアンは阪急三番街にあるのだが、行くたびに周囲がかなり様変わりしてる。都内の某有名スーパーが入ってたりして、ちょっと感じ悪い。 カミさんはカレーをパスしたので、待ち合わせの喫茶に行ったらすごく混んでいて、なんかこっちも食べたかったので菊屋に向かい、粟善哉を食べる。思ったより量が多くてちょっと失敗。 そんなこんなで、買った安売りチケットでは乗れないと思ってたのぞみに乗れて、順調に帰京。 仕事は待ったなし。
ああ、それにしても悔しい負け方よ。
5/22 カレーに始まり 22
朝まで仕事して、それから義父の一周忌なので大阪へ。なんかものすごく腹減ってて、朝飯に池袋駅地下のカレーを所望する。ちょっと待ったが、スタンドのカレー屋としてはまあまあなので、入って食べる。 大盛りだったのだが、なんか足りなかったので新幹線でサンドイッチを食い、そしたら急に腹が膨れてしまった。で、徹夜が響いてそのまま大阪まで気絶。いやー、終点が大阪でよかったよ。 カミさんの実家に着いてからも寝て、起きたら夕飯、風呂、そして耐え切れず寝る。 ちょっとだけ仕事もした。 ……って、なにしに来たんだ、自分。緊張感なし。
5/21 完全自炊 21
朝、おととい買った材料がいい加減やばくなりかけなので、いきなりパスタを作る。 あんま美味しくなかった。 で、昼ごろまで仕事とかして起きてて医者に行って薬をもらい、それから夕方まで寝て、明日出かけるので床屋へ。本当はイタリアで刈ってこようかと思ったのだが、なんとなくタイミングが合わなくて行けなかったのだった。 床屋からの帰りにローズマリーとか買って、前失敗した前菜と、メインに考えてた芋キッシュもどきを作る準備。したらカミさん帰ってきた。 キッシュと言ってもチーズとかいっさい入れてないので、どっちかっつーとオムレツか卵焼きなのだが、まあ細かいことは気にしないように。もどきだし。 飯作ってる間にカミさんがビール買ってきてくれた。ありがたや。 で、夕飯はまあまあだった。よかった。
5/20 相撲 20
恒例の相撲観戦。 あんま寝ないで出たのだが、まあまあ元気だった。 今回は向こう正面が錣山親方(元寺尾)で、近くに塩じぃがいた。握手してきた。ミーハー。
5/19 お土産渡し&慰労会 19
スカレッタにて、剣の聖刻関係のF先生とN先生、カミさんとともに(本当はカミさんの仕事関係の人も来る予定だったのだが)買ってきたお土産と慰労の食事会。 なんか今回は自分的にいい本になったと思うし、あと無理言ってばかりなんで、ここはひとつということで。 スカレッタはやっぱりとても美味しい店で、あとなんかひさびさに話の合う人たちと飯を食えたので、とても楽しかった。
でも、これがイル・カナアレだったら、もっと楽しかったかもね。いや、死んだ子の歳を数えるようなことを言っちゃいかんか。
じつはスカレッタにもお土産があったのだけど、出る時に取り違えてしまった。ううう。
5/18 自炊の予定だったのだが 18
ダメだった。カミさんのおともだちと食べることになってしまったので。 おいしい店だったし、カミさんのお友だち夫婦とお話できたのでよかったのだけど。 明日はちょっと用事で夕飯は外なので、買った材料どうしようかなーうーん。
5/17 やっと自炊 17
ホント、ダメだねえ。 いろいろしょうがない流れがあったとしても、いい加減家飯の比率を増やさなくちゃ。 つーかそういう作業に慣れないと。
夕飯はポルペッテと呼ばれる肉団子料理のモドキ。ほとんど野菜でソースと具を作って、それに肉団子をアクセントに入れた感じ。ソースのベースはカリフラワー。これがじつにいい味になってくれた。これからは安売りのカリフラワーは必買かも知れない。 ただ、おかず作りに気を取られて、ご飯を焦がしてしまった。むうう。大失敗。
あと、緑色の来る。結構アメリカではそれなりに供給されてんだよね。なんかなー。 アメリカ偏重で商品流されりゃ、そりゃそっぽ向かれるって。日本での販売量が落ちているそうだが。
5/16 就職 16
従姉妹の長男坊が上京しているという電話をもらい、近所に住んでいる従兄弟(長男くんにとっては叔父さんにあたる)夫婦の家に行く。 いろいろ相談に乗りつつ、なんか夕飯をご馳走になってしまった。従兄弟(従姉妹)といっても、結構年齢が離れていて、お世話になりっぱなしなのだが。今回は、すこしは役に立てそうで、試験場まで道案内をすることになった。 東京の交通網は彼にとって複雑らしく、遅刻が致命傷になる試験の時だけはついていくことに決めたのだ。 いろいろ話をしているうちに深酒。うー。
5/15 ヤキトリ 15
なんか、カミさんの大先輩の人が定年退職されて焼鳥屋さんを始めていて、ようやく念願かなって自由ケ丘のそのお店に行けた。ちょっと割高なのだが、さすがにうまかった(ものすごくいい鶏使ってる)。 そこで妖怪のパターンの入ったシャツをもらう。なんか、そのお店にカミさんが他の仲間の方々と行った時にたまたま居合わせた方がそのデザインやってる人で、注文したのがいろいろあってお店に預けられていたらしい。で、それを取りに来るついでに焼き鳥を食べたというわけだ。 カミさんの友人宅がその電車の沿線であることに気づいて、寄る。お酒などごちそうになり、猫と遊んだりいろいろ楽しかった。
5/14 土産その2 14
というわけで、名古屋の人と夜に東京駅近辺で待ち合わせてブツを渡す。 なんかお土産を渡しに行ったのに、ウィスキーもらってきてしまった。ううむ。 待ち合わせた店は天ぷら屋さんだったのだが、なかなかいい感じでうまかった。東京駅のそばで使える店が少なかったので、これは助かる。
5/13 土産を持って行く 13
また夕方まで寝ていた。いやあ、時差ボケは大変だ<いままでとおなじです 今日は、友人に土産を渡すついでに、デラカーサにも行くので、そっち方面の土産も持って行く。スローフード協会の本2冊買っちゃったんで、それ持ってったのだが。あとボッタルガと料理法書いたパンフ。パンフはこっちも役立ちそう(まあイタリア語だが)スキャンしてPDF化してみた。 なんか、最近お客さんが増えてるらしく、じつにいいことだ。さすがにイタリアの飯屋のコアな味わいには届かないが、それでも限られた材料ですげえ美味しく作ってる店だと思う。こういう志の高い店にはがんばっていただきたいものだが。 スローフード協会の本(Osterie d'Italia 2004)は、もしかしたら持ってるかなあと思ったが、持ってなかったらしい。善哉。ボッタルガは無難なのを選んだ(マグロのとかあったが、ボラのにした)が、それよりパンフの方が役に立ったんじゃないかと思う。 友人にはサルデニアの赤を。ワイン持ち帰るのはどうかと思ったんだが(どうしても瓶振り回すことになっちゃうからね)、まあ珍しいしってことで。本当に、日本に入ってるワインなんてごく一部のもので、あっちにあるワインは何十倍の量があるのだ。 その筋ではおそらく有名であろうGAIA & RAYなんつー高級白ワインも、日本じゃ半可通レベルじゃあんま知られてない感じで。じつは初日に間違って頼んで青くなったわけだが(mezzoで75エウロだよ。フルボトルで10エウロ前後の酒が普通のリストの中で)。
明日は名古屋の友人にOrvietoのリキュールをもってく予定。
5/12 さらに眠い。 12
そろそろちゃんと自炊しなきゃ。 ってんで、昼飯を作ろうと思って、でもなんか気力がわかなくてぼーっとしてたら夕方に。しかたなく、昼飯は松屋の定食(丼物は野菜ないんで)にすることにして、そのついでに買い逃していたNARUTOの22巻やらBASTARD!!の23巻やら、エヴァンゲリオンの9巻と、あとおかずの材料を買うために出る。 で、結局コミックスが練馬に行かないと見つからなくて、帰った時には4時からやってる日テレのヤツで、一番面白い水曜のホンジャマカ石塚のヤツを見逃していた。くそう。 しかし悔しがる間もあたえず、睡魔が襲いかかってくる。耐え切れず寝る。 気がつくと9時前。野球も終わりかけ。7−1。おお。 で、飯を作ろうと下に行きかけたが、旅行用のトランクを片づけようとして押し入れのドアが外れ、これがメンテナンス性をなんにも考えてない構造で、なんかすげえアクロバットのようなことをしてはめ直すのに30分近くかかった。おのれー。 そんなこんなで、カミさんの帰りに間に合わず、しかたなく龍へ。ああ、うまかった。でも野菜食べてない。
5/11 ねーむーいー 11
よく考えてみると、向こうでの平均睡眠時間って6時間くらいだったんだよなー。 極端に長く寝たりはしなかったので、まあそんなに短時間の睡眠ってのもなかったんですが。でも昼寝がなかったので、疲労の蓄積も結構大きかった感じですね。 そういうわけで、眠いです。眠い。うう。そういうわけで、寝てました。う。仕事しなきゃいかんかったんじゃないのか。 あ、洗濯はしたな。旅行中の服やら下着やら、買い足しもあってすごいことになってたので、それを一気に洗い直したのだった。でも思いきり晴れてたので、ほんの数時間で乾いた。すばらしい。 サイトを見てて、なんか知り合いの方が大変なことになっていたことを今ごろ知る。陽気に書かれてはいるが、大丈夫なんだろうか。まだお若いうえに、これからも作品を読み続けたい方なので、ぜひお大事にと言いたいところなのではあるが。 なんか今年の野球は面白いねえ。こういう接戦続きは楽しいなあ。どっかが独走すると、そのチームのファンはいいけど、残りは白けるからねえ。今日は負けましたが、でも面白かったよ。
夜は味三昧。帰国挨拶とか兼ねて。うまかった。まるひと月ぶりの純粋な和食だ。うう。
5/10 そしていつもとそんなに変わらない日常。 10
うわっ、なんだこの蒸し暑さは! なんでも、ここ2、3日で急にこうなったんだとか、京成の係員の人が言ってたが。 それはそれとして。 無事に成田に到着し、無事に国に入れてもらえて、無事に通関も済み、無事に荷物を家に向かって送り出し、自分も電車に乗り込みました。 飛行機もいったん飛び立ってからはこれ以上ないくらい平穏で、なによりでありました。 目の前がビジネスだったので、ちょっと闘志燃やしてたけどな。やっぱ特別扱いはうらやましいよなー。3倍以上払ってんだから当たり前か。 成田から家へはもう結構慣れた道程になっていて(海外旅行が頻繁だからではなく、カミさんを送り迎えしたところによるのが大きい)、何の障害もなく家までたどり着いた。
クラがどうもこっちのことを忘れたっぽい。う。 かくして、そんなに変わらない日常が戻ってきた。明日からまた雑事に追われる毎日だ。ま、それはそれでまた善哉。
5/9 なんか全般にきーきー言いながら走ってばかりって印象があって 09
それも猛烈に重い荷物ばかり抱えて。 最終日の朝もそうでありました。余裕で宿を出て、昼までなんにも食べられないからとパニーニをひとついただいてたらいつの間にか電車の時間(まあ別に30 分待てばそれでも余裕だったんだが、それ以上テルミニにいたくなかったので)になってて、しかもカートは全部誰かが使ってて(ムカつくのが、すくなくとも客ではない連中がかなりの割で使ってるってこと。客引きのタクの運ちゃんとか、ジプシーとか)、2個の片方30キロ近く、もう1個も楽勝で10キロオーバー(服とすかすかの土産しか入ってないはずなんだが)の荷物、しかもハンドル壊れてるっていう涙が出そうな状態で、400メートルほどあるレオナルド・エクスプレスのホームへ突っ走る。残りあと4分。死ぬかと思った。 それからはまあスムースで、問題あったといえば荷物預ける時に水と帽子を一緒にカバンのファスナーもないスリットにはさんで出しちゃったこと。水はむしろ捨ててくれていいくらいなのだが、帽子は大丈夫だろうか(って、これ書いてる時点で答えは出てますが)。 飛行機に乗ってから、席番号で異人さんのおばさんに文句つけられたが、結局向こうが間違ってたってんで納得したらしい。もっともにこやかに「大丈夫」と応じてくれたのは旦那さんの方で、おばさんの方は謝りもしなかった。まあ、いいんだが。こんなのが隣(要は15のDという中央3席のうちのひとつが、機首方向向かって左か、右かという話で、個人的には移るのが億劫なのと、明らかに向こうが間違ってるのになんでこっちが謝らなきゃならん……明らかに謝罪を求めてきてたからな、おばちゃん……ってことで、席順なんかおなじならびならどうでもよかったんだが)で10時間以上ってのは苦痛だなあと思ったのだが、飛行中はおとなしくしてくれててなによりだ。 フライトは1時間遅れで、飛び立つ前結構うつらうつらしてたのだが、一向に飛ぶ気配がなかった。整備と荷物搬入に時間を食ったという話で、まあその後無難に飛び立ってくれたのでよし。 機内は完全電子機器ダメっていうアナウンスがあって、うそつけー、なんかあったときめんどくさいからだろうとは思ったが、そこはそれ、きまりはきまりなのできちんと守って映画鑑賞。音楽関係までダメを出されてたので、コンテンツはしっかりしていた。 観たのは「Master and Commander」、「Sindbad」、「Paycheck」、「Brother Bear」の4本だったが、全部それなりに佳作だった。特に「後出しじゃんけんでなんでもひみつ道具」ことPaycheckは必見。 今回は熊運に恵まれていたので、縁起担ぎもあって熊兄弟をトリにしたが、なるほど、兄弟というのはコーダとの関係よりむしろ人間3兄弟の方がテーマ的には強かったかと納得。シンドバッドがちょっと凡作風味なのに対して、こっちは良作。でも子供には受けそうもないな。 マスター・アンド・コマンダーは、なんか思ったよりアクション活劇でした。面白かったけど。
5/8 締めは家庭料理。 08
というわけで、いろんなものを食べたのだけど、最後はローマでいまんとこ一番のお気に入りのお店、Trattoria Dell'Omo Ginoへ。マンマひとりで料理やってる店だ。テルミニ駅のすぐそばで、なんかカメリエレのおとーさん、手が震えてるんだがいい味出してる(メインは若いあんちゃんが仕切ってる。おそらく孫かな)。 とにかく、ここ激烈に美味い。イタリア料理の本当の味はネイティブじゃないから永久にわかるわけないんだけど、まあ、とりあえず飯を食う立場として、単純にうまいまずいで言えば、かなり高いところにある。 なんつーんだろう、吉田戦車言うところの「肉と飯」のうまさというか。 まあ、日本で言えば洋食屋(レストランじゃなくて洋食屋)のすげえうまいところと言えばいいのか。 今日いただいたのは、Tonnarelli alla Gricia。要するにベーコンとペコリーノチーズの四角い断面のパスタ。これがまず文句なしでうまい。 続いて、ウサギのカッチャトーラ(Consiglio alla Cacciatora)。これがさらに信じられないくらいうまい。ウサギってこんなうまかったのかってくらい。だいたい、カッチャトーラってトマト煮だとばっかり思い込んでいたのだけど、とんでもない勘違いで、これはソースもほとんど絡まず、ただ肉があるだけだった(何らかのソースを絡めたうえで調理していたのかも知れないけど、ともかく出てきたのは汁気の多いローストって感じだった)のだが、めちゃめちゃうまい。味がある。まさに肉と飯。ああ、こんな料理を6年前に食べていたら……まあ、あんまり変わってなかったかな。でも、ラツィオ州をきっともっと好きになってたでありましょう。 そういや昼もフラスカティに行ってなんか食ってきたような気がするのだけど、忘れました。きれいさっぱり。Zarazaという店に恨みはないし、まあまあ美味しかったけど、こっちのせいできれいに吹っ飛んでしまいました。ああ(ちなみに、2000年の旅行で最後にFrascatiに泊まった時、Zarazaに入ったつもりだったのだけど、今日、まったく別の店だったことが判明しました。大笑い。でも、あの時Zarazaに入ってたらどうだったろうか。わかんないなー。あと、第一候補のCaccianiは縁がありませんでした。貸し切りなんだもん)。 まあ、家庭料理だと思うし、イタリアの人たちはウサギをよく食べるというから、たぶんわたしの食べたようなレベルの料理は結構みんな普通に食べている可能性大なのだけど(腕のいいマンマは結構いるだろうし)、まあお店なので、行けば誰でも食べられるという点でものすごい価値あり。 ただこの店、ものすごい放置プレイされるので注意が必要だ。あと、たぶんからかわれていたんだと思うのだけど、最後に料理をリストアップしてって、発音をきれいに直された。ぬう。次は見てろよ。いつになるかはわかりません。でも、ベラベラしゃべって圧倒してやる。
などとわけのわからない闘志を燃やしつつ、旅は終わります。たぶん。ストの話も聞かないし。 次の更新は東京からの予定です。あー、AirH"で成田からって手もあるね。
5/7 Orvietoの空 07
今日はOrvietoの日である。いやそう決めたので。 朝は晴れ。まわりをものすごい雲が囲っているが、晴れは晴れ。 そういうわけで、フニコラーレ+バスの1日券を買い、街中へゴー。当然傘は持ってたが。 とりあえず、ほとんどの時間を散策に。結構知らない場所もあったりして、いろんな場所の撮影をしたりする。特に西側の城壁はすごかった。もう何十トン、何百トンっていう石を使ってたりして、あの迫力はシロウトの写真ごときでは伝わるまい。 街の西側を回り、適当に見物するうちに昼になる。-その直前に雹が降ったりして、なんか本当に変な天気だ。 最初は、結婚式の二次会もやらせてもらったTomTomの関口シェフご推薦のdell'Angeloという店を探していたのだが、どうもかなり離れた場所にある感じなので、dell'Orsoというトラットリアに入る。熊だから。 で、ここがうまい。パスタがTarutofoの卵抜き麺だったが、すばらしい香りと味だった。セコンドがウサギで、これも美味しい。付け合わせの野菜炒めがまた抜群だった。 カメリエレというか、ご主人らしい人物が話好きで、楽しかった。しっかり堪能して30エウロ弱。 食休み後昼寝して、夕方起き出す。なんか休んだり寝たりしている間に、何度も雨が降ったり晴れたりしたらしい。ううむ。 夕飯をETRUSCAで予約してあるので、ふたたび街中へ向かう。とりあえずフニコラーレの降り場から乗ったバスがいつもの路線ではなくて、ちょっと楽しかった。で、知ってる場所で停車したのでそこで降りて、街中探索。本当に、Orvietoで知っている範囲がごく狭いことを思い知らされる。適当に路地を選んで歩いたのだが、本当に見たことのない場所ばかりだった。 で、考えてたお土産を買い忘れていたことを思い出し、あわててそれを売ってそうな店を探して買い物をした後、開いてた食品店でちょっと買い物をし、ドゥオーモ前のバールで食前酒をいただいてから、早めだったがETRUSCAへ。 カメリエレのみなさんに歓迎してもらう。でも第一声は「奥さんは調子いいか?」だったけどな。 料理は想像以上に美味しくて、フルに楽しんできました。60euroくらいかかったけど、ワインフルボトル頼んで、前菜、プリモ、セコンドに、ドルチェ、食後酒、カッフェドッピオだから高くはないよね。安い店はもっと安いけどさ、そりゃ。 で、記念写真をお願いして、帰る。フニコラーレはとっくに止まってる時間で、フニコラーレの乗降所に来るバスに乗って降りてきた。 これでOrvietoもおしまい。楽しかった。
そうそう、ETRUSCAで赤ちゃん連れのご家族が近くだった。表情なんかを見ていると、なんとなく子供を持つことの意味がわかったような気がした。
5/6 Vissaniだぜー。 06
朝起きて、荷物を片づけ、朝ご飯をいただいてからホテルを出る。 やはりナポリは好きだ。いままでいろんな都市を渡り歩いてきたけど、こんなに元気のある街はなかった。パレルモですら、なんかちょっと違うんだよなあ。 まあそういうわけで、昼ご飯どうしようか悩んだのではあるのだけど、結局夕飯があそこなので、食べ過ぎの予感のあるナポリはやめにして、オルヴィエートに向かう。昨日の昼、夜のご飯で十分堪能できた感じだし。 まあ、本当のところを言えば、1日かそこらで堪能もなにもないのだけどね。 ナポリ発ミラノ行きの列車は、ちょいと遅れてオルヴィエートへ。最前列で停車を待ち、さて止まったと扉の開ボタンを押すも反応なし(イタリアの列車は、乗降客がドアオープンを自分でやる方式)。まさかと思って反対側を押すと、線路しかない方がバッチリ開いた。 ほとんど悲鳴に近いscusieを響かせながら、その車両の後方の扉に突っ走ったのは言うまでもない。 正常にひらいてた扉から飛び降りると、まあちょっと(かなり)間があって、列車は出ていった。いやーびっくりしたよ。 今日のホテルは駅前なので、もう楽勝でチェックイン。間を置かず、フニコラーレに乗ってETRUSCAへ。夜のことがあるので、パスタとサラダだけにしてやめ、先週カミさんが世話になったことに礼を言って回る。ちゃんと店員さんは覚えていてくれて、bene?と聞いてくれた。she is bene.などというわけのわからない答えを返すが、さすが観光客慣れしている店員さん、ちゃんとわかってくれた。 金曜の夜に予約を入れて店を出る。 それから土産など買い、ホテルに戻る。鍵をもらいながら、「今日Vissaniに予約入れてるんだけど、タクシー呼んでもらえませんか?」とお願いする(could youで始めたので、そういうニュアンス)。フロントの人は快く応じてくれて、タクシーを呼んでもらう。 で、予約した8時に向けてフォーマルっぽい服装に着替えていると、かなり早めにタクシーが来た。こりゃ相当待つなあと思いつつ、タクシーで25エウロかけて行くと、実際7時半過ぎには着いてしまった。困ったなーと周囲の写真なぞを撮っていると、「入り口はあっちっすよ」と若い料理人さんに言われる。「8時の予約なんだけど、いいのかなー」と答えると(うそです。Otto ore, Io prenotato. OK?と言っただけ。もう文法もなにもあったもんじゃない)、Pregoとの答え。 して入り口に近づくと、待ってましたとばかりに給仕長というか支配人さん登場。鍵を開き、中へ迎え入れてくれる。まずウェイティングルームに通され、革張りのソファで食前酒。それで8時まで待つって寸法だ。 なんだかすっかり忘れたが、白ワインのドライなヤツが食前酒だった。うまい。つーか品がある。 で、そこでメニューを選び(フルコースのセットをお願いした。選んでもよかったのだが、面倒だったのと、一応典型的なメニューだってんで、それを信用したわけだ)、それからしばらく待ってダイニングへと通される。ダイニングっつーとなんかアレみたいだが、要するに食堂だ。 なんか写真撮っていいよと言われるが、撮らなかった。なんか撮ってどうするって気がして。それよりも、まずここでの食事を記憶に焼き付けることに決めたのである(かっこいー!)。 このダイニングが面白いつくりで、調理場に面する壁に大きな額縁が仕込んであり、その中は窓になっていて、調理場の様子が見えるのだ。一種のオープンキッチンである。調度が見事だったり、装飾に凝っていたりと説明を始めると枚挙にいとまがないのだが、ともかく、品よくアイデアを盛り込んだ感じの店内だった。 で、白ワインが来る。メニューに合わせてお任せにしたのだが、シャルドネだった(<生産地は!)。 それを楽しみつつ待っていると、最初に出たのがシラスの卵焼きオムレツだった。すこし前に出ていたpaneとburroがいたく美味しく、しかしそれに負けないいい味だった。つーか冗談抜きで、香草使ってるけどこれ卵焼きだよ! なんと今日のシェフが日本人の森さん(シャイな人だったぞ)だったので、どうもその辺関係があるらしい。 続いて豆とポモドーロを使ったなにか(忘れてしまった)。その次が帆立と平目、それに鳩のジェラートの温前菜、続いて魚を茄子と巻いた前菜が出て、カッペリーニ(手打ち)を使った鶏のカッチャトーラのパスタ、フィノッキオのパイ添えと続き、メインは子牛の粒マスタード添え、オレンジのソースと、ひき肉とじゃが芋のグラタンだった。 チーズを選んでもらって(わかるわけないしねー)、ジャムをフィノッキオと林檎のを選んで食べると、これがワイン必要なしのうまさ。つーかワイン邪魔。そういう感じ。 ドルチェ(つーかデセールって呼んでた。dolceだとイメージ的に繊細さに欠けるってことかな)はなんと別室。これはvissaniの2代目のアイデアなんだそうだ(しかもできたばっか)。まあ、支配人の下で修業中という感じだったが。でもvissaniの名前をしょってる以上、看板でもあるんだよねえ(ちなみに今日はVissani氏は不在でした)。大変だなあと思うが。 いろいろいただいて、帰りは支配人さんが送ってくれることになり、なんと無料でオルヴィエート駅前へ。ああ、ありがたや。放水中のダムが途中にあったんだけど、それが凄かった。 あと、帰る直前に厨房を見せてもらった。すげえ。さすが☆つきの店(それも×2)、広いわ、機能的だわでもう大変だ。いまはまだ改装中とかで、完成は10日とのことだった。 なんか行く直前にネットでVissaniへの行き方を引いたら、あんまりいい評判がなくて青くなったのだが、個人的には大満足であった。もちろん接客も含めての話ではあるが。というか、たとえば、最高の素材なら、多少料理法が劣ってもそっちの方がうまいのは当然で、そういう意味でリストランテを瞬間最大にしろ凌駕する店はけっして少なくないわけだが、これに接客とかいろいろ加わってできているのが高級リストランテだと思うわけですな。 というわけで、タクシー代も入れると243エウロ/人という殺人的なお値段なわけですが、その時の気分もあるにしろ、けっして行って損ではないお店だと思います。これは個人の価値観によるけど。明らかに。
5/5 そしていまは雨のナポリ 05
結局仕事はあんまり進まず、まあそれでも手ごたえだけはつかんだところで睡魔に襲われてばたんきゅーだった。気疲れがすごかったらしい。なんとも。 目覚ましが鳴る前になんとか起き出し、昨日夜に買っておいたチケットをもって駅に向かう。その前にナポリのホテルを予約したり。ちょっとはりこんで高めのところにした。どうだろう。 さて、予約が終わったらもう出発の時間は目の前だった。待たずにすむというのはうれしいことだ。もちろん席はエウロスターの1等。したら電源コネクタついてるさ。すげえ。ごていねいにパソコンや携帯の絵まで書いてある。つまり、使っていいってことなんだな。 つーわけで、ナポリへの道々、ガンダムヒストリカの原稿などをやる。ガシガシ進む。いいぞこれは。なんか最後の方は仕事でひーこら言いながら終わりなのかなあと思っていたのだが、ここで一気にケリつけちゃえば、あとはまた気ままに行けるからね。 電車を降りてから、荷物を預かり所に預け(イタリアの駅の多くにはこういう場所があるのだ。最近は小さなところではずいぶん減っちゃったようだけど)、電車で目星をつけていたLA CHITARRAへ……行こうと思ったのだが、迷ってかなわず。かわりに、適当なところでトラットリアに入ったら、みんなビジネスマンっぽい人たちばっかりで、観光客はほとんど見えない店だった。でもってびっくりするほど安く、うまい。こりゃお得だったかも。 そのままバスに乗ってホテルのある駅前まで戻り、ホテルを探すと、教えられた通りの場所にあった。入り口を見る限りでは、はりこんだ甲斐があったかも。実際、通された部屋はなかなかのものだった。いつもカミさんと泊まる時に使ってるSTAR HOTELにはかなわないけどね。あそこは別格だからなあ。もっと上のホテルはいくらでもあるのだけど、まあ値段を考えると妥当というかそれ以上だろうなあという。 とにかく部屋広いし。 で、なんか急激に疲れを感じて、ベッドに倒れ込んで1時間半ほど経過。意識を失っていたのは数分だったと思うが、半覚醒状態で1時間ばかり動けなかった。どうもまだまだ疲れはありそうだ。 それから、明日の手配をする。某☆☆の店に予約を(ラストだからね)。英語が通じなかったが、まさかシェフか? なんかすげえ人当たりよかったけど。で、金曜日になんとかもう一度トライと思っていたLA FRASCAへ電話。今日は定休日のはずだが、本によれば店にシェフはいるらしく、それでかけてみたのだが、なんとつながった。で、結果、ダメだった。なんと20日まで休みらしい。理由はよくわからなかったが。無念。日程変更だ。どうすっかなあ。 で、それから仕事をし、一段落着いたところで今度こそってことでLA CHITARRAへ。 一言で言えばいい店だった。いい店とうまい店は別のもので、たとえばサッサーリの某店なんかはものすごくうまかったが、なんというか居心地が悪かった。それに比べれば、味は平凡に近いのだが(昼間の店の方が俗っぽいけど美味しかったかも知れない)、とても居心地が良かったのだ。強面のおじさん(お兄さんか?)がドアにへばりついていた時は、正直あせったものだが、そういう人が時折見せる笑顔というのはじつに魅力的なのだよなあ。 でも前菜は余計だったな。今度から、昼食べた時はよほどそそるものがない限り一皿抜くべきだな。 えーと、それから帰って仕事。ついいましがた終わってこんなことしてるわけだ。 あ、雨だ。それも土砂降り。雷まで鳴ってるよ。 ああ。風呂入って寝よう。それにしても暑いなー。よくみんなこんな空気の流れない部屋で平気だなー。これは完全に慣れの問題なんだろうなあ。今度から扇子か団扇を持ってこようかなあ。扇風機でもいいな。USBにつなぐやつ。
5/4 さらばサッサーリ 04
というわけで、サッサーリ滞在最後の朝である。 もはややるべきことは前夜に終わらせてあり、残っているのは時間まで待機することだけである。 帰りの飛行機は3時近いのだが、空港へのバスが12時半なので、昼ご飯もままならず。結局街中をうろついて、いろいろ見て回った。 到着した直後は、なんだか灰色の坂ばっかりあるところにしか思えなかったが、結構面白いところではある。こうしてみると、あと何日が時間がほしかったなあと思ったりするわけだが、じゃあいていいよと言われると、帰る気まんまんになったりするのだろうなあとも思う。 飛行機では、やはりカバンは預けざるをえず、大丈夫とはわかっていても、恐怖のあまり大型ザックにありとあらゆるものを詰め込んでしまう。すごい重さ。しかも、いまテロ警戒のせいだろう、手荷物チェックがすごく厳しくて、その巨大な荷を全部ほどくはめになってもう泣きそう。係のお姉さんは笑っておりました。 最終日のサッサーリ&アルゲーロ付近は雨。昨日からそうで、予報ではそろそろいい感じになるはずだったが、なぜだかまだ降ってる。飛行機が出発する直前、降りがひどくなり、何十メートルでもないところにバスが出た。 若干遅れはあったものの、飛行は順調で、5時前にはローマ空港にたどり着く。テルミニ駅に着いたのは6時過ぎ。フラスカティに行こうか、市内でガンダムヒストリカの原稿やろうかと悩んだが、フラスカティで泊まりたいと思った宿が1人でも安くならないことと、ジュニアスイートしかないことが判明。結局市内に。それも駅の真ん前にあるホテル(つーかペンシオーネ)に決定。すげえ安かったし。もっとも、風呂付きがいいなあと言ったら、そこの姉妹店の方に連れてかれた(隣にある)のだが。 結構いい宿で、値段から想像していたのとは全然違っていたので、土曜日の宿もここにしようとお願いしたら、なぜか値段が倍だった。これは、週末だからか? それとも、姉妹店は本来その値段ということか? まあ、いずれにせよいい宿だし、倍といってもノーマルなホテルのシングルルームの範疇なので、予約した。 これでラストは悩まずに済むね。 夕飯は、最初のペンシオーネの方の支配人さんが勧めてくれたごく近所の店。う、うまい。6年前、じつはその店の前を通っていたりして。ああ、失敗だ。でもあの頃はまあなあ。 ちなみにメニューはアマトリチャーナ、ペッシェスパーダのポモドーロ煮、サンダニエーレの生ハム。生ハムは本当は前菜扱いなのだが、肉食いたかったもんで。 本当になじみの人たちが来る家族経営の店で、やっぱりここも待たされたのだが、なんか気分よかった。あったかい。ちなみに、料理はマンマひとりだ。すげえ。
5/3 たぶんいまあたり天国に一番近いかも知れない気分 03
朝、すでに荷物はあきらめ気分である。11時くらいに電話すると、「まだ機体が到着してない。12時に書け直してくれ」という。しかたなしに12時にかけ直すと、「ローマで見つかった。4時には届く。電話するから滞在しているホテルを教えなさい」というので、叫び出したい気分をおさえて、「ホテルにいるとは限らないので、こっちからそっちへ電話する。4時に」とか言ってみる。 急に元気がわいてくる。さっそく心配してくれていたカミさんと、ナポリの友人(じつは、Macの電源の確保のために、ローマの店に電話であたってもらっていたのだ。最悪、そこで買うつもりだった)に電話。 それから、着いた時から気になっていた、裏通りにあるDa Peppinaというトラットリアへ。うげ、安い。なんだ、このアバウトなメニューと半分以下の値段は。 入ってみると、一昨日泊まったホテルに泊まっているという日本人2人が先客だった。 なにやかやと話しつつ、食う。なんか海が荒れてるとかで、魚物はなし。出るものも、すげえシンプルで、トマトソースかけただけとか、前菜なんかサラミソーセージ切っただけ(サルシッチャと書いてあるから、てっきり自家製ソーセージを焼いたものでも出るかと思ったが、あの値段だしなあ)。メインのトリッパもトマトで煮ただけだったが、これ、結構いけた。素材の味が出るのだなあ。 夕方になり、荷物を取りに行こうとすると電話がつながらず。いやな予感がするが、30分遅れでつながると、確かに届いたという。空港へのバスがない時間帯で、2時間待たなければならなかったので、思い切ってタクシーに値段を聞いてみると、ホテルまで往復45エウロでいいという(メーター通りなら、片道でそのくらいだった。本当にいい運転手のおじさんだった。高速入る時、シートベルト締めてねって言うし)。乗った。 雨がひどかったが、タクシーのおかげでほとんど苦しまず、到着。あった。たしかにあれだ。いえーい。 係のおじさんが本当に一所懸命事務処理とかしてくれて、遅延の証明も出してくれた。すげえ言葉が大変だったが(知らない単語だし)、AIUの係の人も助けてくれて、なんとかなったのだった。 かくして、ホテルへ無事もどる。タクシーの人には50エウロ払った。気分料込み。 荷物を整理しつつ、旧かばんをほとんど空にする。手で持って運べるようにするため。 で、夕飯はスローフード協会の本に載ってた(じつはこれも新しく買っていた)DA GESUINOという店へ。 値段はほどほどで、うまい。前菜はただの盛り合わせだったが、ひとつひとつがうまいのだ。マリネも酸っぱすぎないし(こういう店が多いので、置いてあるものの盛り合わせは基本的にパスなのだが)、生臭さもない。 すばらしい。 でも一番はボッタルガのパスタ。いままで食べた中で最高の出来だったかも。 メインは馬のグリルで、これは塩味が弱かったが、嫌いな味ではなかった。塩をし忘れたとは思えないので、ああいう味なのだと思うが、珍味であった。 ドルチェはことわり、かわりに食後酒をいただいて帰る。
5/2 宿を移る。そして空港へ。 02
あー、まだ帰らないよ。 で、どうしたかっていうと、まず朝、そのホテルをチェックアウトし、前日買い物捜索のついでに見ておいたホテルのひとつに向かうのである。あ、その前に空港だが。 なんせいま荷物がバックパック1個なので、身軽なのだ(笑) いや、内心シャレにならない狼狽ぶりだったけど。 結局荷物は戻らず、昼に空港で知り合った日本人のおふたりとアルゲーロまで飯を食いに出た。タクシーの運ちゃんおすすめだったが、いまいちだった。 で、その人たちと別れ、自分はタクシーで空港へ。いや、その時間バスなかったんですわ。アルゲーロって路線バスも本数少ないし、大変そうではある。 その後、バス停から北に向かう。サッサーリ市内地図のスポンサーに、郊外の大型スーパーが載ってたからである。地図を見る限り、歩いて行けないこともない感じだった。実際、市内の図はわりと縮尺も正確に見えたし、まあ歩いて行ってみようと思ったわけだ。 いや、その地図かなりの嘘つきだったわけだけど。 2キロくらいかそれ以上歩いただろうか。行けども行けども潰れたスーパーやらカー用品店やらばかりで、いい加減うんざりしはじめたころ、突然巨大な駐車場と、その向こうに看板のない広大なスーパーが見つかった。 おそるおそる入ってみると、やはりそこは地図の店だった。 さっそく衣類を買いそろえ、電話の充電器、ケーブル類、カバンを買ってしまう。カバンなんかベネトンだぜ。 必要なものがそろうと、現金なもので足取りも軽くなり、今夜から泊まるホテルへと徒歩で向かう。タクシー呼んでもよかったのだが、電話番号知らないし、お金かかるし。 で、まあ、サッサーリ駅前付近まで2キロ、ホテルまで2キロくらい歩いて(本当だ。なにせ、GPSの直線距離でも駅前から1.6キロくらいあったんだから)、ようやくホテルにたどり着く。 いや疲れた。おお、バスタブがあるぞ。すばらしい。 夕飯は、駅からの上り坂の途中にあったIl Castelloというところ。意外にうまい。特に、鮭と蕗とチーズをオリーブ油で合わせた前菜なんか絶品。なかなかすばらしい。海老のクリームソースのリングイネも、クリームというより生チーズで合わせた感じ。山のものと海のものの融合が見事。 でも、やたら待たされる。混んでいるのはわかるし、別に顔見知りとおなじように扱えとは言わないが、会計に1時間近く待たせるのはどうか。チップ置く気満々だったが、やめてきた。
5/1 カミさんが去り、荷物も去った。 01
パレルモの空港で日本に向けて出発するカミさんと別れ、こっちはすでに航空券を取ってあったサルデーニャ行きの便に乗るため、いったんローマ空港へ。 カミさんの便の方が1時間以上遅かったはずだったが、なぜかこっちも1時間遅れて、ほぼ同時にボーディングゲートをくぐった。 それから約3時間後、アルゲーロという、サルデーニャ島の空港に降り立つ。空気は冷たく、とにかく荷物を引き取って、サッサーリと言う近郊の都市に向かおうとするが、待っている目の前でコンベアが止まった。 係の人がついてこいという。わけがわからずついていくと、要するに荷物が途中ではぐれたらしい。 ちょっと待て! あれには服の他に皮膚のかゆみをおさめる薬とか、いろいろ入ってるんだぞ。 そんなわけで、登録だけしてその日はサッサーリに向かう。しかたない、とりあえず服だけでも買って落ち着こうではないか、と。 で、空港へのバス停に手近な宿を取ってフロントで話をすると、なんでも今日はフェスタで、店は明日の日曜も含めて月曜まで開かないよと教えてもらう。 絶句である。 空腹を抱え、とりあえず飛び込んだ宿のあまりの凄さに落ち込みながら、ようやくTシャツを売ってる本屋さんを見つける。その後スーパーなどを見つけ、歯ブラシなどは確保するが、肝心のものがなかった。 そう、下着だ。 結局どうすることもできず、その日は近所のリストランテでパスタだけ食べようとしたが、気がつくとメインまで行ってた。まあ、そんなものである。
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